阪神淡路大震災

2005年1月14日
「すげえな・・・」


最初は、それしか思わなかった。

朝起きたら、テレビの向こうが何か騒がしい。
 斜めになったビル
 崩れた高速道路
 もくもくと煙を発する商店街
何もかも、異様で、しかし「テレビの中」の出来事だった。

「すげえな」
それしか思わなかった。





母が、泣いていた。
祖母との連絡が取れないのだ。

祖母は、神戸に住んでいた。

自分は、1度しか会ったことが無い。

母と祖母は、あまり良い仲ではなかった。

じっと、テレビに釘付けの母。
ならない電話を待ち続ける母。


そんな母の背中を見ながら、自分は学校に行った。


帰宅後、母は、なんとか普通に家事をしていた。
祖母から連絡があった。無事だったのだ。


夕食。
メニューは、流石に10年前だから覚えていない。

でも、食事には点くことの無かったテレビが、その日だけ、煌々と、兵庫県神戸市だけを写し続けていた。

母には悪いが、あまり、美味しい夕食ではなかった。



何日か経った。
阪神大震災の現状が、少しずつ、確実に、悲しくなるくらいに、
判ってきた。

確認された被害者の数が、5000人を越えた。

学校では、「これ」がテレビの中でしかない、同級が、こういった。
「6000、いくだろ?」


死者の数が、あまりに多すぎたのが悪かったのかもしれない。
この人は、5000と6000の数の違いに、なんとも思わないのかな。
って、思った。



でも、6000を越えてしまった。
胸がいたかった。
何もできない自分が、悔しかった。
何かできたかもしれないのに、何もしなかった自分が、情けなかった。




生まれて初めて、当時、「募金」をした。
確か、買い物のおつりの、「50円玉1枚」だったと思う。
ケチで、恥ずかしくって、情けないと思った。
でも、こう考えていた。

例えば、日本の人口1億2千万人のうち、10分の1、1200万人が、10円1枚を募金すれば、
1億2千万になる。

小学生でも簡単に考えつく、馬鹿みたいな方程式。
そんなことあるわけが無い。
10人に1人が募金なんて、ありえない。

「・・・でも、自分が募金すれば、10分の1に、なるかも。」
そう思ったから、入れた。



身内がこういった震災にあって、初めて、テレビの中のことを「現実である」と理解した。
皮肉なものだ。



今、テレビの中でいろいろなことが起こっている。
全部「現実」だ。
でも、「テレビ」という媒介が、まるで他の世界の・・・他の次元の事のように、淡々と伝えている。

マスコミは最初、大々的に伝えていても、
メディアの興味がそがれたり、もっと大きなニュースがあれば、
パタリと報道方針を変える。
そして、
何時の間にか、忘れ去られる。




なんか、おかしい。






今日、募金箱にお金を入れてきました。
50円玉ですが。

皆さんもどうでしょう。「一番簡単な、誰でもできる援助」だと思います。募金って。

10人の中の、2人目になってみませんか?

以上。くろぺんでした。

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